マルチ分野でのプロを目指す「40代キャリア」

より良い成果につなげる信念を持ち、
設計に「自分の想い」を込めていく。

PROFILE

本店 都市整備部課長

村松 由博

2004年入社

技術士
建設部門(都市及び地方計画)
建設部門(道路)

地元・名古屋を
自分の目でもう一度見たい

実家が建築関連の仕事をしており、小さな頃から設計に興味を持っていました。高校卒業後は東京郊外のニュータウンにある大学に進学。ここで都市計画を中心に「景観」について学びました。そして、さらに視野を広げ、「環境」という視点から都市計画を掘り下げて考えるために、名古屋に戻って大学院に進学。もう一つ名古屋に戻った理由は、大学で学んだ都市計画の知見を持ってニュータウンという計画的に作り込まれたまちの環境で暮らしてきたという経験を踏まえ、もう一度一番よく知る名古屋のまちを見てみたいという気持ちがあったからでした。そして大学院修了後は、名古屋の建設コンサルタントということで中央コンサルタンツを選びました。

信念に基づいて
顧客(おきゃくさま)を説得する

1年目は交通部に配属され、道路の線形や排水、舗装の厚さ、横断歩道の位置といった道路の基礎を学び、2年目には都市整備部で公園の設計を担当。公園は計画の自由度が大きい反面、顧客がエンドユーザーではないため、私が提案したい計画と求められる内容のギャップに葛藤を感じていたことも確かです。たとえば、私たちが利用者の利便性を考えた楽しい遊具を提案しても、顧客からは管理が簡易である無難な遊具を求められるケースが多くありました。しかし完成後に残念な物にしたくないので、私たちも与えられた制約条件の中で検討した上で、メリットを懸命にアピール。そして最後に、私たちの計画が受け入れられた時に、大きなやりがいを感じていました。

仙台で桁外れのスピード感を体験する

4年目には交通部に戻り、道路の概略設計や予備設計などを担当。これは1年目の時より上位の業務で、たとえば道路をどこに通すかという計画を立てるという仕事でした。この頃から主担当として仕事を任される機会が増え、スケジュールの管理をしながら業務を組み立て、若手技術者を指導するといった管理者の役割を担うようになりました。その後は仙台支店に半年間ほど出張し、震災復興プロジェクトに従事。とにかく取り扱う業務が膨大で、通常なら数ヵ月かかる設計を1~2週間で行わないと追いつきません。さらに東北地方の基準も勉強する必要があり、とても大変でした。でも、このスピード感を経験できたことは良い勉強になったと思います。

別分野のプロとジョイントする

現在は再び都市整備部に戻り、リニア新幹線の駅前・駅周辺の整備事業などに関わっています。これまでは当社内の一つの部署で完結する仕事がほとんどでしたが、リニアの仕事は規模が大きいため、他部署との連携も多く、さらに他社との共同企業体(JV)にもなります。その中で都市整備部での役割は大きく、私が担当者間の調整役を担うことが重要です。チームを組む人々はみな専門分野が違い、仕事の進め方もスケジュール感も違うプロフェッショナルばかり。そんな人たちとチームを組み、スケジュールや段取りを調整しながら業務を推進したことで、視野が大きく広がりました。私のキャリアにおいて、これは大きなターニングポイントになりそうです。

大切なのは自分の想いを込めること

今後、人口の減少によって私たちの生活は大きく変わっていきます。そんな中、コンサルの計画・設計も常識や一般論にとらわれず、新しい時流を踏まえて変わっていかねばなりません。一人ひとりの技術者も、自分の業務分野以外の講習会に参加したり、他社との共同施工で知見を拡大したりといった取組みが求められます。そしてもう一つ大切なのは、「自分はこうしたい」という強い想いを持ち、顧客に提案できる技術者になること。ですから後輩には、顧客の指示や国が決めた基準書をそのまま形にするのではなく、自分が関わることで、より良い成果につながるという信念を持ち、設計に自分の想いを込められる技術者に育ってほしいと願っています。