マルチ分野でのプロを目指す「40代キャリア」

部員一人ひとりのブランディングを行う
プロデューサーでありたい。

PROFILE

東京支店 設計1部長

湊谷 昌樹

2002年入社

技術士
総合技術監理部門(建設-道路)
建設部門(道路)

先輩から怒られた、生意気な新人

出身は北海道の旭川。河川の多い街で、小学校の時に新しい道路と大きな斜張橋の工事風景を見て、素直にかっこいいと思ったことが土木業界に興味を持ったきっかけでした。大学院でコンクリートの破壊特性を研究し、卒業後は橋梁の設計をしたくて中央コンサルタンツへ。今から思うと、すごく生意気な新人でした。仕事もできないくせに、「なぜこんなことするんですか?」と先輩に文句を言っていましたし、そのくせコミュニケーションだけは一人前で、よく先輩を飲みに誘ったりしていました。ある日、そんな私を見かねた先輩から「お前、もっと勉強しろ!」とガツンと言われ、ようやく目が覚めました。今でも、その先輩を尊敬しています。

現場だから見えてきた大きな問題

3年目、ジョブローテーションで道路を担当する課へ。正直、橋梁を志望していたので最初は戸惑いもありましたが、意外と道路設計は私の適性に合っていました。自分の成長を感じたのは、5年目に担当した東京都の道路の詳細設計。詳細設計は工事に直結するため、現況の把握が不可欠です。そこで車通りが少ない早朝や休日に、地形図を持って何度も現地を訪れて確認しました。驚いたのは、東京は1年前の地形図と現況が違うのは珍しくないということ。これが大問題でした。たとえば住宅の建て替えで家並みが変わると重機が入れなくなったり、ガス管などの埋設物が増えたりすることはよくある話。「現場を確認すること」、そして「施工」を意識した設計が大切だと学びました。

自分で率先して仕事を動かす決意

ターニングポイントは、入社7~8年目に担当した東京都の高潮事業に伴う道路の改良業務でした。この時は先輩が橋梁・護岸の設計として担当しており、最初、道路担当の私は先輩の指示で動けば良いと思っていました。しかし道路は関係する部署が多く、道路技術者である私でないと分からないことが増え、次第に顧客(おきゃくさま)から私に直接問合せが来るようになりました。この時、私がこのプロジェクトを動かそうと決めました。以降、指示を待つのではなく、私が率先して顧客や関係部署と話し合い、私がどうしたいのか、を自分で考え、関係部署を調整しながら成果のとりまとめを行いました。この時、私の仕事に対する取組み方が大きく変わったと思います。

管理技術者だから見られる新しい景色

私にとってもう一つのターニングポイントは、入社12年目、若い頃からずっと挑戦し続けてきた「技術士」に合格できたことでした。これによって管理技術者という立場で業務に携わるようになり、責任は重くなりました。でも自分が作成した提案書で仕事が受注でき、さらにその業務を自分で設計することで、技術者としてこれまでとは違う景色を見られるようになりました。また関わった業務で高評価を受けることは技術者冥利に尽きます。とはいえ、コンサルの仕事は絶対に一人ではできません。現在は構造、道路、都市計画、造園分野の技術者一人ひとりの将来ビジョンを考えた後進の育成や、部員が気持ちよく仕事ができるようワークライフバランスが確保できる環境整備が部長である私の大切な仕事だと自負しています。

みんなが成長できる環境、組織をつくりたい

今、私の役割は若手の夢を実現できる環境や組織をつくることだと思っています。そのために、私は部員一人ひとりと向き合い、夢やビジョンを共有しながら寄り添って支えていきます。なぜなら、私たちは家族より長い時間を一緒に過ごしています。私を含め社員同士が遠慮せず話しができる関係を築けるよう、課の繋がりを活発にして部全体で技術と人が成長できる基盤をつくることを目標にしています。もし、悩みなどがあればいつでも相談に乗りますし、会社で話しづらいことがあれば会社帰りの一杯も付き合います。若手からベテラン技術者まで、一人ひとりと寄り添いながら全員が自分自身をしっかりとブランディングし、成長していける環境や組織をつくる。それが、とても生意気だった新人の私に向き合い、指導してくれた先輩への恩返しであり、部長となった私の使命だと思うからです。