高松支店 設計部課長
井手 勤
1998年入社
中学生の頃、土木エンジニアの特集番組を観ました。細かい工程を積み上げ、多くの人とともに巨大な建造物を造るという彼らの仕事ぶりに感動し、大学では土木工学を専攻。中央コンサルタンツを選んだ理由は、大学の先生の勧めに加えて、平均年齢も若い会社であったこと、そして面接の時に、私の出身地の話で盛り上がったことでした。対話好きな私にピッタリの環境だと思った私は、入社後も上司や先輩に臆せず話しかけ、仕事の質問に限らず個人的な悩みも相談していました。さらにお酒の席で何度も周囲に迷惑をかけました。それでも温かく見守っていただいた先輩や上司には、今でも感謝しています。
最初に下水道を担当した後、砂防設計、都市計画、大学移転計画などを経験。20代の半ばから河川・港湾関係の部署に移り、漁港や港湾を担当するようになりました。当時、中央コンサルタンツ初の受注となった港湾の維持管理計画を担当した時は、過年度成果を自分なりに紐解きながら協力会社に相談もしました。また地域の農家と市民農園の計画を立ち上げた時は、地元の方々と毎週のように遅くまで話し合い、説明会を実施しました。彼らと一緒に一つの成果をつくり上げたという経験が、顧客のニーズを最優先で考え、一緒にものをつくり上げていくという私の仕事の進め方につながっています。これまで経験したすべてが、今に生きています。
「土木は経験工学」という言葉がありますが、その通りだと思います。入社した頃は目の前の仕事を覚えることに必死で、現場に目を向ける余裕もあまりなく、そのことが原因で生じたミスもありました。たとえば現場調査が不足していたせいで、工事の着工後に支障物が見つかったことがありました。また、調査を行ったにもかかわらず、経験不足で支障物に気づけなかったり、設計に必要な条件が不足したため再調査が必要になったりした、ということもありました。そんなミスをするたび、設計における「課題」も「答え」も現場にあることを痛感させられました。以来、タイトなスケジュールでも時間を惜しむことなく、必ず現場をしっかり確認することを自分に課しています。
ターニングポイントは東日本大震災でした。震災直後、今まで見たことのない惨状に、何とも言えない感情がこみあげたことを覚えています。同時に、私たち土木技術者がこの状況を乗り越える力にならなくてはならない、と強く感じました。震災復興業務に携わったのは発災から2~3年後。当社の仙台支店に全国から技術者が集まり、全員がこれまで経験したことのないスピードで業務をやり遂げていきました。私の担当は長さ約1キロの防潮堤の設計。毎日遅くまで図面と向き合いながら、常に「これは、ただのコンクリートの壁ではない。この防潮堤には、この地域に暮らす人々の想いが詰まっている」との思いで、設計業務に没頭する毎日でした。
当社には知的財産と言うべき多くのキーワードがあります。その一つが、「60%主義」。これは、業務の60%は会社の方針に沿って行動し、残り40%を自分で考えるという意味です。2021年、私は高松事務所に異動しました。私の使命は若い技術者を育て、支店に昇格した高松支店を四国の河川分野の拠点にすること。でも、それは業務の60%。AIなどの最新技術によって日々進化するこの業界では、従来の技術を伝えるだけでは意味がないと考えています。私にとって残り40%は、既存の技術を体系化して伝え、新技術を取り入れながら若い技術者とともに成長すること。当社には、他に「打つ手無限」という言葉があります。その言葉通り、どんな難題も、解決策は必ず見つかると信じています。高松支店が四国の河川分野の拠点となるように、打つ手無限の精神で若手技術者とともに成長していきたいと思います。